2024年2月25日日曜日

「落下の解剖学」(ネタバレ大有り)

 カンヌ映画祭パルムドール受賞の「落下の解剖学」を土曜日に見に行った。

5時半からなので、その前に近所の公園を散歩。河津桜にメジロ2羽。


例によって武蔵野線で行きます。駅に着いたら途中から埼京線に入って大宮へ行くしもうさ号が来るところ。


車両はいつもの武蔵野線で、行く先が大宮になっているだけ。反対側は海浜幕張行き。


つくばエクスプレスに乗り換えて流山おおたかの森。お気に入りのプレミアスクリーンだけど、この映画、アカデミー賞にもノミネートされている話題作なのに近隣ではここしかやっておらず、その上、狭いプレミアスクリーンで1日3回しかやらない。時間も朝と夕方とレイト。なので朝と夕方はほぼ満席。


で、感想ですが、長い。長すぎる。この長さが必要な内容とは思えない。

最近の映画「天才作家の妻」や「アフターサン」のアイデアを使ってガラガラポン、で1本作ったみたいな安易な印象。

裁判シーンがそれぞれが勝手な推測を述べるだけで、これが裁判か、というような内容。第一、この程度の疑惑で起訴しないと思うし、この程度の状況証拠で有罪になったら冤罪もいいところ。フランスの警察とか司法とかこんなにいいかげんなの、と思う。

以下、ネタバレ大有りです。


ネタバレ大有りで内容を言うと、ドイツで知り合ったドイツ人女性とフランス人男性が結婚、ロンドンを経て夫の故郷のフランスに帰った、という設定(これはあとでわかってくる)。

妻は作家として成功し、夫は教師になるが、夫は作家になる夢をあきらめきれず、小説を書こうとするけれど、構想ばかりでものにならない。その構想の1つを妻がいただいて小説を書いてしまうくらい。

ん? この設定、グレン・クローズの「天才作家の妻」と似てる。「天才作家の妻」は夫は小説のネタを持っているが小説が書けず、妻はネタがないけど小説を書くのはうまい。それで夫のネタを妻が小説にして夫の名前で出して成功。しかし、日陰の存在の妻には積年の不満があり、また、夫にも不満が、という話だった。

「天才作家の妻」は書いているのは妻だが、実際には夫婦合作みたいなものだったが、「落下の解剖学」は夫のネタを妻がいただいたのは1度だけで、あとは妻は自分の体験から書いているので、夫は作家の才能がまるでないことになる。

その上、夫はかつて、幼い息子を迎えに行くときに執筆を中断したくなかったので、ベビーシッターに迎えを頼み、その結果、息子が事故で失明したことに罪の意識を感じている。

そんなこんなで夫婦の仲が険悪になっていたときに夫が転落死、妻が殺人容疑で逮捕され、裁判、という話なのだけど、上にも書いたように、殺人だという物的証拠もないのに起訴されないだろう、普通?

殺人でなければ自殺、ということになるのだけど、結論からいうと、これは自殺で、その背景にあった夫の苦悩に、妻と息子が裁判を通じて気づいていく、というのがこの映画のテーマなのだ、ということが最後にわかる。(死んでから気づいても遅いんだけど。)

夫の死の前日に夫婦が口論していたのを夫が録音していて、裁判でその録音が証拠として出されるが、そこでわかるのは、妻がフランス語が苦手なので家では英語を話していて、夫はそれが不満だったこと、作家として成功した妻がなんでも支配していると感じていたこと、一方、妻はドイツ人としてフランスに住むことに苦労があったことで、お互いに、自分の方が相手のせいで苦労していると言って喧嘩になっているのだ。

そして最後に、病気になった飼い犬について父が語った言葉を少年が裁判で語る。そこで、父であり夫である彼が、自分は家族のために生きてきて、でも死ぬかもしれないからそれは覚悟しておいてくれと、それを犬のこととして話したということがわかる。

回想として登場するこの2つのシーンで、父親が初めて人間として登場し、作家になろうとしてなれず、妻に嫉妬し、失明した息子に対して罪の意識を持っている彼がいかに苦しんでいたかがわかる。

うーん、自殺した父の苦悩だったら、「アフターサン」の方がよかったよね。

やっぱり、「天才作家の妻」と「アフターサン」のアイデアをもらってガラガラポンで作った感じが否めないのだ。

その上、裁判シーンがぐだぐだすぎる。

息子が目が見えず、かわりに聴力が優れている、という設定もまったく生かされていない。息子が目が見えていても成立する話。罪の意識は別のことでもいい感じ。

英語とフランス語がちゃんぽんなのは、字幕で見てると違和感ないが、英語圏とフランス語圏ではどう聞こえていたのか、それは興味がある。あと、妻は何語で小説を書いているのだろう。ドイツ人だから母語はドイツ語で、フランス語は苦手だけど英語は得意みたいだから、書くとしたらドイツ語か英語だと思うのだが。それをフランスでも出版されているとしたら、フランス語に翻訳されていることになる。一方、夫はフランス語で書こうとしているわけなんだが、その辺、映画はきちんと設定を考えているんだろうか。