2011年10月4日火曜日

たまにはお知らせ&愚痴

 たまには自分の書いた映画評のお知らせしてもいいよね、てわけで、お知らせ。

 10月5日発売のキネマ旬報10月下旬号に、「猿の惑星:創世記」の長めの評論を書きました。
 また、午前十時の映画祭コーナーで「ハスラー」の短い紹介を書いています。
 久々の映画評で、特に「猿の惑星:創世記」は気合が入りました。某大学で前期にやった人造人間テーマも利用させてもらい、「フランケンシュタイン」も入れて、ついでに初代「猿の惑星」が公開された頃の思い出話なんかも入れて、かなり楽しんで書かせてもらいました。
 「ハスラー」も、好きな映画なので、書けてよかったです。

 しかし、その某大学とは別の大学がどうにもひどいことになってまして(例のウマシカの大学です)、もうこの大学の非常勤講師やめたい、という気分。でも、やめるにはかわりの仕事を手に入れないと生活できない。が、かわりの仕事なんてそうそうあるわけではないし。
 ただ、こういうモチベーションがあってこそ、次への発展がある、のでしょうね。前向きに考えなければ。

追記
 うーむ、そのウマシカの大学、こっちがやめてやる、とか言う前に、クビになるかもですね。
 その大学、まだできてから10年くらいで、だから、文部科学省の補助金が頼りの大学で、だから、文部科学省の天下りが牛耳っていて、それがすべての大学。
 非常勤講師になったとき、学長の志に打たれたというか、感動したことがあって、また、テレビにも出ている有名な教授が、落ちこぼれの若者を救う、みたいなことを言っていて、この大学に期待したんです。自分も、映画や文学を通じて、少しでも、そういう若者の役に立てれば、と。
 実際、授業に来る学生の多くはまじめで、私の授業から何かを得てくれています。映画や文学では、就職とかそういったことには役に立たないけれど、でも、何かを得てくれたという感触はいつもありました。だから、がんばってきたんだけど。
 でも、そうじゃない学生、私の授業に興味がないけど、ほかに取るものがないからしかたなく受けに来る学生、そういった学生が、全体の3分の1くらいいる。そういう学生は、不満から、迷惑なことをするし、不正行為もする。興味のある学生はそういう学生が迷惑だと思っている。でも、ほかに取るものがない、つまり、学生の必要な講義を十分に用意してない大学に問題があると、私は思っています。
 結局、だめな大学は、すべてがだめなんだ、と、やがて気づくようになります。こんな大学でも多くの学生はまじめで、それなりに能力がある。でも、まじめで能力がある学生は、こんな大学に入ってはいけないんだ、と思うようになりました。実際、まじめで能力があると感じる学生は、もう少し努力すれば、もう少し上をめざせば、もっといい大学に入れたと思うのです。まじめで能力のある学生を見るたびに、どうしてここに来たの?と思うようになってしまいました。
 そうなると、学長の言葉、有名教授の言葉が、むなしくなります。確かに、学長も有名教授も努力はしているのでしょう。でも、現実は、文部科学省の補助金がすべてで、だから、常に文部科学省の方を向いていて、現場の学生や教師は不満だらけな現実があるのです。
 かつて、私が教えていた短大で、この大学によく似たところがありました。そこは教務課が短大の経営者の親族ばかりで、教務課がすべての権力を握っていました。こちらの大学は文部科学省の天下りが教務課の権力となっていて、教授会は有名無実なのだそうです。そういうところは、やっぱり、だめです。
 私の授業はとにかく受講生が多い。また、本気で受講している学生には評判もいいようです。でも、それは大学にとってはまったくメリットではない。だから、私がやめても、あるいは私をクビにしても、大学側としては痛くも痒くもないでしょう。
 このブログを見ている人には受験生はあまりいないと思いますが、あえて言うと、今は大学も昔より入りやすくなっているのだから、やはり、どうしようもない大学には行かない方がいいです。少しでも努力して、いいところへ行った方がいいです。まじめで能力もある学生がこんな大学に、と、非常勤の私が思ってしまうようなところは、やっぱりだめ。
 テレビに出ている有名教授はフェミニズムの人なので、この人の傘下にいるフェミニズムの研究者が非常勤でも多くいるようです。でも、フェミニズムばかりなので、学生は敬遠して、フェミニズムでない私の授業にたくさん学生が集まるのか、と思ってしまう。そして、その教授の傘下のフェミニズムの先生の授業は、たったの6人しか受講生がいないって(?)。私の授業は100人を超えそうで、教室の椅子が足りなくなりそうなのに、教務課は何もしてくれない、それどころか、私の足を引っ張ることばかりするのです。(たまには愚痴言ってもいいよね)