2011年10月24日月曜日

ブリューゲルからバッハへ

 今日のページビューが100超えてるんですけど、いったい何があったのかと思ったら、そのうち80以上が「恋の罪」でした。この映画の記事は前からアクセスが多かったのですが、1日80以上は異常に多いです。そんなに期待されてるのか、この映画? まあ、ヒットは間違いなしでしょうね。

 さて、新学期が始まると試写に行けなくなるという悲しい毎日なのですが、最後に見たのが3週間くらい前の「ブリューゲルの動く絵」。オランダの画家ブリューゲルの十字架を背負うキリストの絵をもとにドラマ化(?)した作品で、ブリューゲルをオランダの俳優ルトガー・ハウアーが演じていたり、マイケル・ヨークやシャーロット・ランプリングも出演していたり、と、期待していたのに、なんかつまらない映画でした。見終わって外へ出ると、おすぎ氏が宣伝の人に感想を聞かれていましたが、「やったことはすごいけど、やった意味がない」と言っていて、100パーセント同感でした。
 それから試写見れなくなっていたのですが、今日、やっと、ドキュメンタリーの「ピアノマニア」を見てきました。同じ試写室でしたが、「ブリューゲル」は混んでいたのに、これは閑古鳥で、あれ、と思ってしまいます。こっちの方がずっと面白いのだが。ただ、試写はDVD上映だったので、鮮明度が悪く、それが残念でした。
 この映画はドイツ・スタインウェイのピアノ調律師、シュテファン・クニュップファーが、バッハの「フーガの技法」を録音するピアニスト・エマールのためにピアノの調律をするエピソードを中心に、調律師シュテファンの音へのこだわりや苦労を描いたものです。
 ピアニストはほかの楽器の演奏家とちがい、自分のピアノを持ち運べないので、調律師に頼るしかないのですが、ピアニストのさまざまな要求に応え、最良のピアノの状態を作り出そうとするシュテファンのマニアとしかいいようのないこだわりもさることながら、その明るくユーモラスで屈託のないキャラがなんともいえません。この映画の魅力の大部分は、音へのこだわりよりも、シュテファンのキャラじゃないかと思います。映画の前半で、壊れてもいい安いヴァイオリンを持ってきてくれ、と頼み、それ、何に使うのかな、と思っていたら、最後のエピソードで実は、という構成の妙も面白いです。日本人のピアニストが、ピアノにほこりがこんなに積もっていたと、ほこりを持ってきたとき、「それ、どこにあったんですか、戻しておいてください」と言ったとか、冗談のうまい、ユーモラスでユニークな人なのです。ただのマニアでは暗く狭量になってしまうところですが、この人のキャラはすばらしいです。
 それでも苦労は多く、エマールがいよいよバッハの録音をする前日になって、用意したピアノがどうもイマイチ気に食わない。「じゃあ、別のピアノにしますか」とシュテファンが言って、倉庫かどこかにあったピアノをエマールに弾かせ、じゃあ、これをホールに持っていって弾き比べしましょう、ということになるんですが、明日、録音だってのに、今からピアノ運べって言われても、運搬係が難色示しそう。わがまま言ってるのはピアニストなのに、「自分が言っているみたいだ」と言いながら、それでもピアノを運び、2つを弾き比べてもらったら、エマールはやっぱり最初の方がいいと言うのです。
 シュテファン、大変だなあ、と同情しますが、同時に、エマールはやはり、最初の方がいいということを確かめたかったんだと思うのです。そこで妥協して最初のピアノで録音するよりも、手間がかかっても弾き比べして、納得して最初のピアノにする方が絶対いいんですよ。これって、こだわりの仕事をしたい人、趣味でもこだわりでやってる人ならわかると思うんです。
 問題は、普通の人の場合、シュテファンみたいに協力してくれる人がいないってことですね。
 シュテファンの苦労とこだわりのおかげでピアニストは最高の演奏ができ、それをまた、シュテファンが至福の喜びと感じる、そういう幸せな関係はなかなかないものです。
 実は最近、すっかりクラシックに疎くなった私は、エマールはもちろん、この映画に登場するピアニストはブレンデルしか知りませんでした。「のだめカンタービレ」でピアノ演奏を担当したラン・ランという中国人のピアニストも知りませんでした。
 それはともかく、プレスシートに、監督のロベルト・シビスが、「完璧の90パーセントで満足できれば、50パーセントのエネルギーを節約できる」という主婦向けの家事の本に書かれていた言葉を引用し、そのあと、「シュテファンがエマールの《フーガの技法》の録音に携わる際には最後の10パーセントが問われます」と言っているのが印象的でした。
 前の記事で、ジョブズの「Stay foolish」を「愚直であれ」と訳すのがドンピシャリでよい、と書きましたが、これを「愚かであれ」(注)とか「分別くさくなるな」と訳す人は、完璧の90パーセントで満足して、50パーセントのエネルギーを節約しているのだ、と、きびしい言い方だけどあえて言います。あのあと、あれに関連してもう1つ記事を書いたけど、翻訳失業中のくせにえらそうに、と自分でも思ったので、アップしませんでしたが、そこで書いたのがまさに、この監督の言った言葉と同じことだったのです。えらそうじゃなく言える監督もえらいね。

(注)あの記事のあと、友人から「これまで、「愚かであれ」と訳しているのが多くて、イマイチ真意がわからなかった」というメールが来ました。また、「ハングリーであれ、愚かであれ」を題名にしている本があることがわかり、「愚かであれ」が出回ってしまっていることもわかりました。