2018年2月21日水曜日

ネットで見た興味深い話

翻訳家に関するネットで見た興味深い話2つ。

https://togetter.com/li/889292
マイクル・コナリーの翻訳などで有名な古沢氏が最近の文芸翻訳事情を書いています。
氏は数年前にも、売れるシリーズものの翻訳が出たのに去年の年収は300万円だった、と書いていたことがありました。昔はシリーズものの新刊が出ると、過去作が増刷されたのに、今はそれがない、と。
氏の話だと、文芸翻訳の初版部数はバブル期に比べて今は4分の1らしい。
そして、文庫本1冊訳して印税30万から40万の世界になっていると。
うーん、確かにバブル期に翻訳家の友人から聞いた某売れ筋文庫の翻訳書の初版部数が5万部だったのに、世紀末に私がそこから翻訳出したら初版部数が2万5千だったので、氏がバブル期から半減し、その後4分の1に、と書いているのは本当かもしれない。となると、その大手出版社の文庫は初版部数は今、1万数千になっているのだろうか?
もう10年近く翻訳書出していないので実態はわからないが、大手ではない出版社の文庫の初版部数が1万を切っているらしいことはかなり前から感じていた。その分、定価がすごく高い。
今は文庫本もいろいろあるので、印税30万から40万がどのあたりのことかわからないが、印税率が8%から下がっているところもあるらしい。文庫じゃなかったが、単行本で翻訳をたくさん出していて、その後つぶれたらしい某社は、21世紀はじめに翻訳の話が来たとき、印税は6%の6掛け、つまり3・6%と聞いて断ったことがある(作品は非常によかったのだが)。このやり方だと1000円の文庫が1万部出ても印税は36万円。当たっている。
古沢氏は、文芸翻訳では翻訳家専業はこれからは無理、別の仕事をしながら数年に1冊出した方がいい、と書いているが、文芸翻訳全体が翻訳家および志望者多数なのに仕事は少ないという状態なので、別の仕事をしながら数年に1冊、というのはむずかしいのではないかと思う。つまり、特定の出版社でコンスタントに仕事をもらえる人しか文芸翻訳はできないということ。もちろん、持ち込みをして翻訳を出すことはできるが、この持ち込みもむずかしくなっていると聞く。誰も目をつけていなくて、しかも売れそうな本を探すのがむずかしい。
増刷が1000部を切るようになっている、というのも驚いた。
テレビの100分de名著で「フランケンシュタイン」が放送されたとき、新潮文庫と角川文庫が新訳を出したが、すでに創元と光文社の文庫で翻訳が出ているので、大きくないパイを4つの文庫で奪い合うのでは全体は売れても各文庫の売れ行きは芳しくないだろうと思ったが、新潮と角川が2年で3刷になっていたのに驚いた。光文社は1度増刷になり、創元はもう完全に売れなくなった感じだ(創元は書店に並ばないのが非常に不利)。新潮も角川も初版部数が少なく、増刷部数も少ないので3刷になっているのか、あるいはこの2文庫はよく売れているのか、その辺はわからない。ただ、新潮と角川は小さい書店でもコーナーがあり、有利であることは確か。
創元の「フランケンシュタイン」は100分de名著のときに最後の増刷があったが、確か3000部だったような気がする。3000部の増刷って今では多いのか。その最後の増刷の前は、2年に一度は増刷があったのだけど、その分が新潮・角川にまわってしまったのだと思うと、なんとなく数字は合う気がする。

もう1つの話題は、ある翻訳家が別の翻訳家の訳書に「らぬき言葉」を見つけて死にたくなるほどのショックを受けたという話。リンクは貼りません。
こういう話は必ずブーメランになって自分に返ってくるので、困ったもんなんだが、そこに書いてあったたとえ話がかなり変なので、たとえ話という点で少し意見を書いてみようと思う。
他の翻訳家のどういうミスなら許せるか、ということを、友人がいれてくれるコーヒーにたとえているのだが、翻訳家というプロである以上、コーヒーをいれるのは喫茶店のマスターでないとまずいだろう。
そのマスターが、コーヒーに砂糖を入れるつもりで間違って塩を入れっちゃったとか、そばつゆをコーヒーと思って出しちゃったとか、熱いコーヒーをこぼしてお客さんにかけちゃったとか、それ全部、プロとしてダメ。
特にそばつゆは、そばつゆをあたためてカップに入れて出すわけだから、コーヒーをいれる動作としてはまったく不自然なわけで、仲のよいお客さんにいたずらしようとしたのならまだよいが、そうでないお客さんだったらツイッターで炎上案件だわ。
というわけで、こういうコーヒーの出し方なら私もやるから許せる、って、それはまずいだろうと思うわけだ(たとえ話がそもそもよくない)。
で、この翻訳家の許せない「らぬき言葉」に相当するのは、コーヒーを音をたてて飲むことだという。
つまり、「らぬき言葉」のような下品な言葉(実際は「らぬき言葉」は古い時代の日本語の文献にもあり、下品かどうかは国語学者にきかないとわからないが)を、活躍していて、翻訳のあり方などを講義している有名翻訳家が自分の訳書にあるのに直しもしなかった、ということにショックを受けた、ということらしい。
本をたくさん出している有名翻訳家はたいてい下訳を使っていて、なかには下訳の訳文をチェックしない人もいるから、そういう人なら問題翻訳があっても驚かないが、「らぬき言葉」が何よりも許せない、という人の深層心理の方が興味深いと思ったのである。