2019年7月11日木曜日

ネタバレ全開で「名探偵ピカチュウ」を語ろう

これまでネタバレしてはいけないので「名探偵ピカチュウ」の内容に深く触れる文章を書かないでいました。
が、いよいよ映画も11日でおそらくすべて終了。12日からは入れ替わりで「ミュウツーの逆襲」が始まる。
このところ流山おおたかの森のプレミアに通っていたけれど、最終日の木曜は仕事で無理。水曜が最後となった。
まあ、木曜は川崎の朝イチと立川のレイトがあるので、あと1回どうしても、と思ったらこのどちらかへ行けばいいのだけど、朝イチは早朝に出ないとだめだし、レイトは立川から帰ると帰宅は午前1時になってしまう(かろうじて終電に間に合うようだ)。
流山のプレミアは映像が明るくて鮮明、音響も適度にサラウンド感や重低音があって、かなり条件のよいスクリーンだったし、水曜は他のお客さんがみな真剣に見ている感じで、何か特別な感じがあってよかったので、これを最後にした方がよい気分でリピートを終われそう。
今後もどこかで上映はされるだろうけれど、おそらく字幕版はもう上映されないと思う。ブルーレイはアメリカでは8月上旬に出るようで、日本のアマゾンでも予約開始しているが、ブルーレイが出たら吹替えを見たいので、日本版待ち。

それにしても、とても満足して帰宅したのに、帰る途中からもうピカチュウ・ロスですよ。
そのピカチュウ・ロスをなんとかするためにアマゾンにあるものを注文中で、週末には届くのだけど、なんかすごいロス。今までリピートしたのでこんなロス感はなかった。
また半券でステッカーもらえるので、ポケセンへ行ったらグッズを買ってしまいそう。

というわけで、以下、ネタバレ全開で、映画の感想を語ります。

「名探偵ピカチュウ」は、はっきり言って、脚本は穴だらけです。
あちこち辻褄が合わないところとか、そこはおかしいだろとツッコミを入れたくなるところが多数あります。
ピカチュウが初めて画面に登場し、そのあとエイパムに襲われて逃げるとき、ピカチュウがティムに、「カモン、ティム、レッツゴー」と言うのですが、このときピカチュウはティムの名前を知らないはず。ティムの父親の部屋で出会うのだけど、ティムが誰かピカチュウは知らない。
それでもここはまあ、笑ってすませるところですが、そのあとのストーリー展開やプロットが穴だらけ。ちょっと立ち止まって考えたら変なことがいっぱいあるのですが、この映画はとにかく、観客を立ち止まらせない。次から次へと見せ場を作って、ジェットコースター式に、しかもかなりのスピードで展開していくので、あとから考えたら変なところいっぱいあるけど、見ている間は気にならないのです。
何が変かって、ここからがネタバレなんですが、おっさんの声でしゃべるピカチュウは、実は、ティムの父ハリーの魂が中に入っていた。自動車事故で瀕死の重傷を負ったハリーを救うため、ミュウツーがとりあえず、ピカチュウの体の中にハリーの魂を移した、ということになっているのです。ピカチュウ=ハリーは記憶を消されるが、ハリーの心は残る、とされています(なので、ティムに対して父親のような態度をとる)。
そしてミュウツーは、ハリーを救うために息子を連れてこい、とピカチュウに命じます。とはいっても、ピカチュウは記憶を消されているので、わけわからんままにティムと共にハリーの関わっていた事件を調べ、その結果、ティムがミュウツーと出会うことになり、最終的に、ピカチュウの中のハリーの魂がハリーの体に戻って、父と子の再会となるのです。
と、あらすじを書いてきましたが、このストーリー、どう考えても変。
息子を連れてくるとハリーを救える、と言っているけれど、ティムがミュウツーに出会ったからハリーが救われたという感じではない。むしろ、ミュウツーが父と息子を和解させるためにこんな手の込んだことをした、という印象。
つまり、いろいろ事件が起こったり、陰謀があったりしているけれど、実際は、父と息子の和解がすべてなのです。
それだけのためにこんなに大騒ぎして、大勢の人を巻き込んでるのかよ、と思いだしたらもうついていけないわけなのですが、そういうことを考えさせないのがこの映画のいいところ。ジェットコースター感覚で映画を楽しんだ観客は、最後に父と息子が和解するシーンを見て、余計なことなど何も考えずに感動します。少なくとも、この映画を好きになる人はそうであるはず。そうでない人は多分、この映画を好きにならない。
この、よく考えたらかなりめちゃくちゃな話なのに感動してしまう背景には、やはり、ピカチュウがかわいい、ということが絶対にある。これも、ピカチュウかわいい、と思う人はもう、何も考えずに映画を楽しんで、ピカチュウかわいいとひたすら思い、そして、最後に感動する。まあ、私がそうなんですが、ネット見ても、この映画を好きな人はだいたいそうみたいです。
ジェットコースター的なスピード感、父と息子の和解の感動、そしてピカチュウかわいい、この3点セットが最強の武器なのです。
そしてもちろん、いろいろなポケモンが出てくるライムシティの世界観、ドダイトスの巨大な庭の迫力、フシギダネが何匹も出てくる幻想的なシーンなど、映像的にもひきつけられます。
父と息子のテーマも、ハリーとティムだけでなく、ライムシティを作ったハワードとその息子ロジャーを出すことで補強されています。ハワードとロジャーはテレビに出演しているときは仲のよい親子を演じていますが、番組が終わったとたんにロジャーは父親を責める言葉を言い、父子が仲が悪いことが示唆されます。映画の中ほどでは、ハワードが事件の黒幕はロジャーだと言い、自分がライムシティを作ることに夢中で息子をかまってやらなかったので、息子はポケモンを憎んでいるのだと言います。が、実際は、黒幕はハワードで、ロジャーは善人だったのですが、ハワードが逮捕されるとき、ロジャーは「父親に寄り添ってやらなかったのでこんなことになってしまった」と後悔の言葉を口にします。
この父子の関係は物語の中心であるハリーとティムの父子関係のエコーになっているのです。
ティムは11歳のときに母を亡くし、父を一番必要としていたときにハリーはライムシティに転勤となり、仕事が忙しくて息子をかえりみなくなってしまう。ようやく仕事が落ち着いて、ティムを呼び寄せようとしたときにはティムは父親に愛されていないと思い、父の元へ行くことを拒否してしまう。以後、10年間、父子は疎遠であったということになっています。(ハリーはティムの21歳の誕生日にバースデーカードとライムシティへの乗車券を送ろうとしていたことがわかり、それでティムは初めて父の愛を知るのですが、この10年間、父親は息子に手紙も書かなければ電話もしなかったんだろうか、と、ここでもよく考えると変なことが。)
そんな具合に、ハリーもまたハワード同様、仕事を優先して息子をかまってやらなかった。また、ティムもロジャーと同様、父に寄り添ってやらなかった。このように、ハリーとティムの父子とハワードとロジャーの父子が重なるように描かれています。
そして、ハリーの魂が中に入っているピカチュウが、ティムに言う重要なせりふが2つあります。
1つは、ピカチュウがハリーを裏切ったと思い込んでしまい、ティムから去ろうとするシーンで、止めようとするティムを感電させてふりほどき、「おれはおれを必要としている人たちを助けるどころか傷つけるんだ」と言うところ。
そしてもう1つは、事件が解決したあと、ピカチュウがティムに言うせりふ、「おまえがおれを一番必要としているときに、おまえを見捨ててごめん」。
この時点で、ピカチュウは自分がハリーだとは知らないのだけど、この2つのせりふはハリーのティムへの思いそのものです。
自分は息子を助けるどころか傷つけてしまった。
息子が自分を一番必要としているときに、息子を見捨ててライムシティへ行ってしまった。
後半のピカチュウとティムの間に起こることもまた、ハリーとティムの間にかつて起こったことのエコーになっているのです。
というわけで、父と息子の和解に感動、というモチーフで見れば筋が通っている映画。
あとはとにかくピカチュウがかわいい、いろいろなポケモンが出てくる映像の面白さ、そして、ユーモアですね。ピカチュウが泣きながら歌うシーン、一番好きなシーンだけど一番笑ってしまうシーンでもあります。リザードンと対決するときのピカチュウとか、笑えるシーンが満載。ライアン・レイノルズのせりふまわしがまたなんともいえないユーモアを醸し出していて、レイノルズでなければ成功しなかったのではないかと思います(吹替えも評判よいようですが、やっぱりレイノルズの声でなければ)。
巨大なピカチュウのバルーンの上にピカチュウがすっくと立つシーンも好きですが、クリフハンガー状態のティムがピカチュウに助けを求めるとき、ピカチュウがボルテッカーでミュウツー(ハワード)に立ち向かうのだけど、ミュウツーやっつけてもティムを助けられないだろう、と、ここもツッコミどころなんですが、でも、「ボルテッカー・イズ・ザ・ベスト・ムーヴ」でピカチュウが戦うところを見せればあとはどうでもいいのです(都合よくティムを助けてくれる人がいるし)。
ラスト、ライアン・レイノルズが父親役で出てくるシーンもとても好きで、背後の人の話し声がBGMのようになっている。レイノルズの言う「I'd like that, kid. I'd like that very much」(映画の中ほどでピカチュウが同じせりふを言っていた)や「I think he said I like you」(heはピカチュウのこと)も印象的で、ここを静かに終えたあとに、あのにぎやかな絵と音楽のエンドクレジットが来るのがまた効果的です。