2011年6月1日水曜日

ブレードランナーの記憶

 あるところで「ブレードランナー」について触れることになり、アメリカ劇場公開版、インターナショナル劇場公開版、ディレクターズカットの3種類が入ったDVDを買った。映画は初公開時に映画館で見ていたが、その後、ビデオやDVDでは見ていなかったし、90年代以降に再編集されたディレクターズカットやファイナルカットは見ていなかった。
 理由はただ1つ。記憶の中の「ブレードランナー」を失いたくなかったから。
 私が映画館でこの映画を見た頃は、この映画を好きな人なんてめったにいなかった。見ている人自体が少なかった。だから、この映画は自分だけの大切な宝物だったのだ。
 やがてビデオの普及とともに、この映画はカルト的な人気を得ていった。劇場公開版に満足していなかったリドリー・スコットが再編集したディレクターズカットが現れ、いろいろな人がいろいろなことを言うようになった。もはやこの映画は私だけの大切な宝物ではない。大切な宝物は私の記憶の中にしかない。そう感じたので、私はこの映画を愛する多くの人から距離を置き、映画を見直すこともせず、長い年月がすぎた。
 記憶というものは時間とともに変質する。いつのまにか、違うものになっていたりする。私の場合、「ブレードランナー」の記憶を守ってくれたのは、「フランケンシュタイン」文庫本に書いた解説だ。創元推理文庫の翻訳が出たのは1984年だが、解説を書いたのは1983年の秋。約2ページにわたる文章が、私の記憶を古びないものにしてくれていた。
 「ブレードランナー」の日本公開は1982年。公開されたのはインターナショナル版のはずで、主人公デッカードのナレーションが重要な要素になっていた(アメリカ公開版も基本的には同じ)。私の論も、このナレーションによるところが大きい。
 しかし、ナレーションが気に入らなかったスコットは、ディレクターズカットではナレーションをすべて削除した。今回、初めてディレクターズカットを見て、劇場公開版を見ているとナレーションがなくてもデッカードの気持ちはわかるが、初めて見る人にはわかりにくいだろうと思った。その一方で、劇場公開版を今の目で見ると、ナレーションがくどいところもある。また、ラストシーンも、主人公の2人が外の世界へ出て行く劇場公開版に感動した私には、あれは捨てがたいシーンなのだが、そこをカットしてエレベーターに乗るところで終わるのもそれなりに味がある。
 ディレクターズカットで付け加えられた問題のユニコーンの夢は、私にはただの幻影、ある種の啓示にしか見えない。デッカードは酒を飲みながらピアノを弾いているが、そのとき、ユニコーンの幻影が映る(スコットの別の作品「レジェンド」からの転用なので、思わずトム・クルーズの顔が脳裏に浮かぶのがご愛嬌。しかし、「ブレードランナー」と「レジェンド」って、配給会社は別だったような気が)。しかし、私に言わせれば、これは、デッカードがレプリカントの持っていた写真にあるものが写っていることに気づくための啓示にすぎないんじゃないだろうか。
 最後に同僚のガフが置いていったユニコーンの折り紙を見て、デッカードが感慨深げな顔をするのは、劇場公開版にもあって、ここは同じなのだが、劇場公開版では、ガフが来たが、デッカードの恋人のレプリカント、レイチェルを殺さずに帰ったという意味だということになるらしい。一方、ディレクターズカットでは、ガフはデッカードがユニコーンの夢を見たことを知っていた、だからユニコーンの夢はデッカードに移植された記憶で、つまり、デッカードはレプリカント、となるらしい。
 しかし、私に言わせれば、どっちの版も、これは、ガフがデッカードに、レイチェルと一緒に旅立て、と言ってるんじゃないかと思う。つまり、デッカードとレイチェルは、楽園=アンチユートピアの楽園ロサンゼルスから外の世界へ出て行くアダムとイヴなのだ。このことは、デッカードが人間であってもレプリカントであっても同じだが、彼がレプリカントでなければならない理由はない。むしろ、人間の彼がレプリカントに感情移入できた、ということが重要ではないかと思う。
 レプリカント説を支持する人は、監督がデッカードはレプリカントだと主張するので、このユニコーンの夢の解釈を無条件で信じてるみたいだけど、作者なんて、うそつきだし、いいかげんなものなのだ。無邪気に作者を信じるものではないぞよ。
 DVDを見たおかげで思い出を新たにした部分もあり、全体としては、私の記憶の中の「ブレードランナー」は守られている。ただ、映画初公開の1982年当時、私はメアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」を読んでいなかった。読んだのは解説を書くことが決まった83年の8月から9月ではないかと思う。映画を初めて見たのは1982年7月。解説を書いたのはそれから1年も間があいた83年秋。それでよくあんなに細かく書けたな、と思い、記録を調べてみたら、83年9月に名画座で見ていた。「フランケンシュタイン」を読んで「ブレードランナー」を思い出し、解説を書くために名画座へ行って見たのだ。だからあんなに詳しく書けたのだ。当時はまだビデオも普及し始めたばかりで、名画座が頼りの時代だった。その名画座の名は銀座ロキシー。どこにあったのだっけ? 狭くて薄汚い名画座(ロキシーがそうだったかは思い出せませんが)で「ブレードランナー」を見るなんて、最高じゃないかと思う。音は悪そうだけどね。

追記 銀座ロキシーは昔、東劇の向かいにあった松竹セントラルの地下にあったようです。