2011年6月24日金曜日

久しぶりの試写室

 引越があったこともあって、1ヶ月ぶりに試写室へ行った。まずは「僕のエリ、200歳の少女」(関連記事http://sabreclub4.blogspot.com/2011/03/blog-post_05.html)のアメリカでのリメイク、「モールス」。それから、ドイツ映画「ヒマラヤ 運命の山」。どちらも六本木。
 しかし、試写室が節電で冷房の設定温度を高くしていて、かなり蒸し暑い。2時間我慢しているのがけっこうつらい。終わって外へ出ると、外の方が気温は高いのだが、風があるので気持ちがいい。こんな状態だと、試写室から足が遠のきそうだ。映画館はどうなのだろう。
 で、「モールス」ですが、オリジナルのスウェーデン映画とほとんどそっくりなリメイク。アメリカ的にして派手に、とか、そういうのはまったくない。が、それだけに、オリジナルの雰囲気のよさ、美しさが思い出されて、リメイクはかなり苦しい。オリジナルに忠実に、まじめにリメイクしているのが逆に、オリジナルに比べて劣ると思わせてしまう。
 なんといっても、主役の少年少女がオリジナルの方が断然よかった。リメイクの子役も健闘してるけど、オリジナルにあった神秘的な感じがない。それに、主人公に対するいじめがオリジナルの方が相当陰湿だったけど、リメイクはそれほどでないので、クライマックスの印象も違ってきてしまう。いじめに関する感性が、オリジナルに比べてリメイクはあまり深刻でない感じがする。
 ヒロインの父親のような男については、オリジナルを見た人が感じたこと、つまり、この男もかつては少年で、みたいなところがリメイクでははっきり出ていた。原作小説ではこの男は比較的最近、少女と出会ったペドフィルらしいけど、オリジナルの映画ではいろいろ想像できるようになっていて、それがリメイクでは多くの人が想像したところにしてしまった感じがする。
 また、例の、オリジナルの日本公開でのボカシのシーン、リメイクではそのシーンはなく、こっそり見ている少年の表情だけで表している。リメイクはオリジナルほどには少女の過去を重要視してないのかもしれない。
 吸血鬼にされてしまった女性は、オリジナルの方が断然深みがある。リメイクではあまりに浅はかな描写。
 ドイツ映画の「ヒマラヤ 運命の山」は、ヒマラヤの8000メートル級の山に登った兄弟の実話の映画化。登山の映画は多いけれど、ドイツの登山映画はやたら暗い。「アイガー氷壁」はナチスドイツがらみだったし、こちらは初登頂の名誉欲の醜い争いみたいなのが背後にある。考えてみたら、英米の登山映画「127時間」や「運命を分けたザイル」は初登頂とか世界初とかいう話ではなかったのだよね。だからさわやかだったのか。ドイツの方はそういう人間や社会の醜さが絡んでいるので、暗いのだな。
 映像的には、雄大な自然とちっぽけな人間みたいな構図の絵がたくさんあって、「剣岳 点の記」をちょっと思い出させるところもありました。主人公が団体での登山がいやになって単独登山をするようになるのは「植村直己物語」と共通します。つか、最近、私もそういう気分になる出来事があったので、妙に共感しました。

追記(2011年8月23日)
 以前、キネ旬のクロスレビューに「セックス・アンド・ザ・シティ」が出たとき、評者が誰一人オリジナルのテレビドラマを見ずに批判しているということを同誌で書いた人がいた。
 そして今発売中のキネ旬に、今度は、「ぼくのエリ 200歳の少女」に言及せずに、「モールス」について書いている人が何人もいる。
 クロスレビューでは、1人が、オリジナルを見ていないことを告白した上で書いているが、他の2人も見たのかどうか不明。そして、有名人が名を連ねた1ページ1作品の映画評コーナーで、映画評論家としても有名なM氏が「モールス」を取り上げ、そこで、過去のヴァンパイア映画に言及しているのだが、なぜか「ぼくのエリ」は名前も出てこない。この映画評を読むと、M氏は「ぼくのエリ」を見ていないのだろうと思う。
 上で書いたように、「モールス」は「ぼくのエリ」をほとんどそっくりにリメイクした映画なので、オリジナルを見ずに書くと、実は「ぼくのエリ」の描写をリメイクがそのまま再現している部分であるにもかかわらず、そこが「モールス」の特徴、監督の特徴であるというふうになってしまう。
 「ぼくのエリ」を愛する人は多い。そういう人たちに対して、プロがこういう文を書くのは失礼だと思うのは、私だけだろうか。
 ハリウッド・リメイクの中には、オリジナルがあることを隠しているものもあるが、「モールス」はプレスシートなどにもリメイクであることがおおっぴらに書かれているので、言及しないのは配給元への気遣いということはないと思う。
 また、クロスレビューは編集部が作品を指定するので、やむを得ない面もあるが、有名人の映画評は書き手が自由に作品を選べるのに、なぜ、と思うのです。

追記あります。http://sabreclub4.blogspot.com/2011/09/blog-post_121.html