2018年6月6日水曜日

家族の映画2本@亀有

土曜日はMOVIX亀有で「妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ」と先行公開の「万引き家族」を見た。
亀有は「万引き家族」を土日は1番大きいスクリーンでフル回転させていたが、なんで?と思ったら、亀有から常磐線で3つ目の駅、南千住(荒川区)周辺が舞台だった。区は違うがご当地に近いのだろう。
この映画は最後に南千住東口行きのバスが出てくるが、かなり早い段階から南千住あたりだろうということはわかった。駅近くの三ノ輪商店街でロケしたそうだ。ただ、それ以外の場所は南千住のあたりでロケしたのではないのではないかと思う。
南千住は現在、まるで東横線の武蔵小杉駅(神奈川県川崎市)のように周辺に高層マンションが次々と建っていて、地価も急上昇しているらしい。常磐線、日比谷線に加えて、つくばエクスプレスも通っている。
だが、このあたりはもともと工場地域で、私くらいの世代でないと知らないだろうが、お化け煙突という、4本の煙突が角度により3本や2本に見える工場があった。小学校高学年に柏市に引っ越したので、常磐線の車窓からお化け煙突を何度も見た。
南千住には降りたことはないのだけれど、今も駅のそばには昔ふうのギザギザ屋根の工場がある(東京メトロの整備工場のようだ)。また、このあたりは山谷のドヤ街が近く、もともとは貧しい人の住む地域であったらしい。
映画に登場する川沿いの風景は、実際の南千住のような高層マンションではなく、もう少し古い団地のような建物が立ち並んでいる。高層マンションと古いボロ家みたいな超現代的な対比ではなく、もう少し古い時代にさかのぼっての対比なのかもしれない。
「万引き家族」は高齢女性のもとで暮らす中年から子供までの5人の男女が、実は家族ではなく、いろいろな理由で同居するようになった疑似家族であることがしだいにわかってくる、という物語。是枝監督の作品としては「誰も知らない」に直結する映画で、子供の描写が「誰も知らない」を彷彿とさせる。大人の俳優では安藤サクラが涙を見せるシーンがすばらしい。
高齢女性の年金と、中年男性の日雇いの賃金と、2人の女性の稼ぎで暮らしているが、足りない分を中年男性と男の子が万引きする。新しく加わった女の子に、今度は男の子が万引きを教える。万引きしか教えられなかったから、と男性は言う。男性は日雇いの仕事を失い、女性の1人は解雇され、もう1人の女性は風俗で働いている。いずれも底辺の仕事であり、教育もなく、生きるための最後の手段が万引きなのだ。そして、映画は、少年が万引きしていた店がつぶれてしまったらしいことも描いている。
いったい、この映画、どう転ぶのかと思って見ていたが、若い方の女性の来歴が意外だったほかはあまり予想外のことが起こらず、正直、見ている間は欲求不満だった。だが、見終わってしばらくすると、じわじわ来る映画である。
欲求不満の理由は、社会的な主張とかテーマとかがはっきりとは出ていないからだろう。是枝監督がカンヌでパルムドールを受けたときの取材の結果について、監督自身が手記を発表している。
http://www.kore-eda.com/message/20180605.html
これを読むと、監督は社会的な主張をするつもりはなかったようだ。が、フランス人の記者が執拗に社会的主張を引き出そうとしたようである。
私自身、社会的な主張があるのかと思って見ていたら、ないので肩透かしを食った。
だが、時間がたつにつれて、これは何か普遍的なことを描いているので、だから現在の社会への主張とかにはなりえないのだとわかった。
上の記事で、「血をまぜないと家族にならないのか」という韓国の記事に驚いたということも監督は書いているが、養子をもらうことを好まない韓国らしい発想のような気がする。日本の方が婿養子にあとを継がせるなど、血縁がすべてではない面がある。
だから、「万引き家族」が実は血縁のない疑似家族であるとわかってもそれほど違和感がなかった。それが悪いことだとも思わないし、そういう家族もあるだろうというくらいに感じた。むしろ、こうやって、血縁がなくても助け合えるのはよいことではないのか(万引きは悪いにしても)。
だが、映画は最後に、安藤サクラ演じる女性が少年に、本当の親を探した方がいいと言う。少年は幼い頃、パチンコ屋の駐車場の車にいたのを、リリー・フランキーと安藤サクラ演じる男女に連れていかれたのだ。以前は、親が車に子供を置いたままパチンコをしていて、子供が熱中症で亡くなるという事件が相次いだ。主人公の男女は少年の親はひどいやつだと思い、連れていったのかもしれない。しかし、日本は欧米と違い、以前は車に子供を置いてスーパーに入ったりすることは虐待だとは思われていなかった。少年の親も子供をネグレクトしていたわけではないのかもしれない。
その一方で、親元に戻った少女にとって、親はやはり問題があるままである。
子供たちは誰の元にいたら幸せなのか。結局、映画が最後に突き付けているのはこのことではないのか。万引き家族と一緒でも幸せとは言えないのだ。
だから、結末は少年の自立であり、それしかないのだろう。
親元に戻された少女のシーンを見て、「チョコレート・ドーナツ」を思い出した。
ゲイのカップルがヤク中の母親から保護した少年の里親になることが許されず、親元に戻された少年は悲惨な最期を遂げる。この映画では、少年はゲイのカップルと一緒にいれば幸せだったのだ。だが、「万引き家族」には子供が一緒にいて幸せになれる大人がいない。

万引きして逃げた少年が高いところから飛び降りるシーンで、近くを常磐線の特急のような列車が通るのだが、あれはどこなのだろう。

山田洋次の「妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ」も亀有はご当地で、同じ葛飾区の柴又が出てくる。
しかし、このシリーズ、1作目は非常によかったのだが、2作目からはいろいろと限界を感じる残念な出来になっている。
それでもお客さんはよく入っていて、ある意味、安心して見ていられる映画なのだろう。
それにしても、「男はつらいよ」シリーズは貧困ではないが裕福というわけでもない庶民の物語だったが、「家族はつらいよ」はどちらかというと裕福な家族の話で、バブルの時代にいい思いをして、今は悠々自適の父母と、まだまだそんなに不景気じゃない長男と、税理士の長女とピアノ調律師の次男と、成功者ばかりの家族である。
第1作は吉行和子の母が、コメディなのにホラーみたいな表情をするあたりに深みがあったのだが、2作目の無縁社会は実際は格差社会なのにそこに踏み込まない。踏み込むと、裕福な主人公家族が貧しい人のために何もしていない、それこそ、是枝監督の言うインヴィジブルな人々を見ようともしない人々だということを描かなければならないからだが、それをやってしまうとこの路線では失敗してしまう。2作目からこのシリーズは無難路線に入ってしまったのだ。
そして今回の映画は専業主婦である長男の妻の反乱だが、この妻が従順すぎるのがちょーっと非現実的。長男の母の方はけっこう夫にずばずば意見しているが、長男の妻の方は夫が一方的に怒鳴り散らし、妻はひたすら従順に謝る。これって、ひとつ間違えば精神的DVなんですが。
もちろん、夫は妻を愛しているのであり、それをうまく伝えられないのだが、こういう一方的な関係はたとえ愛があってもDVです。
で、なんで妻はこんなに従順なのかと考えると、金を稼いでないからだろうという気がする。長男の母は死んだ作家の弟の印税が入ってくるので、不労所得がある。長女と、次男の妻は仕事を持っている。長男の妻の友人たちもパートに出ている。へそくりとは万一のための貯金でもあって、大昔の山之内一豊の妻というへそくりで夫を助けた妻の美談もあるくらいで、映画の中でも主婦がへそくりするのは当たり前、と他の人々は言う。
どれだけ苦労して家族のためにへそくりを貯めたのかわからないの? とか言い返してもいいんだが、なぜか言い返さない。最初のなれそめが電車の中で気分が悪くなって未来の夫に助けられたというので、そのときから彼のしもべみたいになっちゃたのだろうか。
山田洋次は家族を描くのがうまかったのだが、なんだか、このシリーズ、一部の人々に安心を与える絵空事になっている気がしてならない。