2018年6月20日水曜日

「母という名の女」(ネタバレ)&「タクシー運転手」

試写状をいただいていたが、都合が悪く行けなかった「母という名の女」と「タクシー運転手 約束は海を越えて」をキネマ旬報シアターで見る。

「母という名の女」はカンヌ映画祭ある視点部門で審査員賞を受賞したメキシコ映画。
リゾート地の別荘に住む姉妹の妹バレリアが出産間近ということで、疎遠になっていた母アブリルがやってくる。バレリアも恋人もまだ17歳。子供が生まれるが若いカップルは育児もおぼつかず、恋人は定職についておらず、恋人の父親も、再婚しているバレリアの父親もまったく協力せずに門前払い。業を煮やした母アブリルは娘に相談もせずに、勝手に子供を養子縁組で自分の子供にしてしまう。
アブリルは肥満の姉には無理にダイエットをさせようとしたりと、娘たちにいろいろ干渉するのだが、ここまでは、アブリルはバレリアと孫が心配でそうしたのかな、と思う。が、このあとがヤバイ。
まさかの展開でアブリルは(ネタバレ)となり、さらには(ネタバレ)までやり、困ったバレリアがアブリルを探し出すと、今度は(ネタバレ)なことまでするのだ。
うーん、娘2人と疎遠だったのはそのせいか。そして、姉妹の父親がバレリアのことでたずねて来たアブリルを断固拒否するのもそのせいだったか。
でも、ラストはやったぜ!て感じで、実に気持ちがいい結末。
ネタバレ部分については最後に書きます。

1980年に韓国で起こった光州事件を扱った「タクシー運転手 約束は海を越えて」は単館系ながらヒットしているようだ。キネ旬シアターでも入りがよく、予定より1週間延長。そのおかげで「母という名の女」とハシゴできた。
ソウルのタクシー運転手とともに光州に入り、世界に事件を報道したドイツ人記者の実話をもとにしたフィクションで、記者はその後、タクシー運転手を探したが、本名がわからず、どうしても見つからなかったそうだ。ソン・ガンホ扮するタクシー運転手のストーリーの部分はまったくのフィクションということになる。(追記 映画公開後、息子が名乗り出たとのこと。運転手は84年に亡くなっていた。映画と違い、名前も偽名でなかった。)
光州事件については、日本でもなかったことにされていて、これを歌った歌が放送禁止にされたということをネットで見たが、事件の最中も海外はもちろん、韓国内でもまったく報道されず、主人公のタクシー運転手もまったく無知な状態で、ドイツ人記者とともに光州に入る。それまでは民主化を求めてデモをする大学生を批判していたのだが、光州で軍による暴行や虐殺を目の当たりにし、考えが変わっていく。娯楽映画として作られているので、ご都合主義の面はあるが、クライマックスで体制側のある人物がとる行動は、ドイツ人記者を演じたトーマス・クレッチマンが「戦場のピアノスト」で演じたナチスを批判するナチ将校を想起させる。クレッチマンをこの役にしたのはそのためか?
弾圧をする側は民主化を求める非武装の人々をアカ(共産主義者)と呼ぶ。民主主義を求める人々をアカと呼んだのはマッカーシズムもそうだ。
ドイツ人記者を残して先に帰ることにした運転手が、娘へのみやげの美しい靴を見ているうちに、このまま帰れないと思って引き返すシーンが泣ける。娘の生きる未来のために、彼は引き返したのだ。
それにしても、「タクシー・ドライバー」と「タクシー運転手」ではずいぶんと違う映画に。

キネ旬シアターはキネ旬発売日は誰でも1100円。いつもは5分前に開場なのに、今日はどちらも10分前開場だった。どちらもわりと入っていた。
2作品分のチケットを買ってから「母という名の女」が開場するまで少し時間があったので、誰もいない2階のロビーでくつろぐ。ここはキネ旬図書館になっていて、会員はバックナンバーや書籍を借りることができるらしい。
2階ロビーから1階ロビーをのぞむ。左のパンフレットは閲覧のみ。

携帯のカメラなのでぼけてしまっているが、正面が映画書。「クリント・イーストウッド:レトロスペクティヴ」が3冊もある。

キネ旬バックナンバー。暗いのでぼけぼけ。

さて、「母という名の女」のネタバレ。

バレリアの赤ん坊と養子縁組したアブリルは、なんと、バレリアの恋人に手を出し、2人は関係を持ってしまう。バレリアと姉の前から姿を消したアブリルは、赤ん坊と彼と3人で暮らし、第2の家族を手に入れたかのように見える。
なんという倫理観のない女、と思うが、それでもここまではまだ、アブリルなりに新しい家族、新しい恋人、新しい子供がほしいのだろう、と多少は理解もする。
が、このあと、アブリルはバレリアと姉の住む別荘を彼女たちには黙って売りに出してしまう。不動産屋が来て初めて事実を知るバレリア。ちなみに、不動産屋は日本にもあるセンチュリー21.
家を追い出されてはたまらないので、バレリアは母を探し、不動産屋にもかけあう。そしてついに、アブリルと恋人と赤ん坊がいるところに遭遇。
うーむ、しかし、アブリルはなんで別荘を売りに出したのだろう。そんなことするからバレるんじゃないか。
そして、娘に発見されたアブリルは「あんたがバラしたんでしょ」と恋人をなじり、恋人を置いて行ってしまい、そして、レストランで、今度は赤ん坊を置いて逃げてしまう。
うわあ、ここまでやるか、と驚きあきれるのだが、これがバレリアには幸いして、恋人と2人で赤ん坊の親権を取り戻す。
しかし、あんなことされて、バレリアはよく恋人を許せるなあ、と思ったが、実は、というのが最後の展開。ラスト、赤ん坊を抱きながら、満面の笑みを浮かべるバレリアに、「やったぜ!」と心の中で拍手喝采。
バレリアがこれからシングルマザーとしてやっていけるのか、など、不安要素はいろいろあるが、家族の絆なんてくそくらえ、な結末にスカッとした。
バレリア自身、出産したときは頼りない母親で、アブリルが勝手に養子縁組してしまうのも無理ないかと思うようなダメ女だったのだが、子供と恋人を奪われ、家まで奪われそうになって、行動を起こし、成長したのがわかる。
「万引き家族」がヒットしているのは、日本の底辺の現実が描かれていると同時に、疑似家族として身を寄せ合う人々のあたたかさがあるからだと思うが、最後はやはり少年の自立で幕を閉じる。その自立には悲壮感が漂う。が、「母という名の女」のラストの自立したバレリアには悲壮感がなく、ただひたすらスカッとするのだ。
こういう映画は日本ではできないなあ、とつくづく思った。