2020年3月12日木曜日

ある記事への違和感

ネットに出ていたある翻訳記事について、違和感を感じたので、メモ的に書いておきます。

記事はフォーブス・ジャパンに掲載された「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」の共同脚本家が勘違いしていること」。著者はポール・テッシ。

最初の違和感は、訳文が読みにくい、何が言いたいのかよくわからない、ということでした。
そこで原文を探してみたところ、原文に比べて日本語訳が凝った表現を多く採用しているな、と感じましたが、それは個人の好みによるものかもしれないので、特に私はシニアになったあたりから若い人とは日本語の感覚がずれていると感じることが増えたので、他の人はむしろ読みやすい日本語なのかもしれません。

ただ、内容的に、これはちょっと違うのでは、と思ったところがいくつかあったので、メモとして、書いておきます。フォーブス・ジャパンの記事はリンク貼りません。検索してください。
もとのForbesの記事はこちら。
https://www.forbes.com/sites/paultassi/2020/01/09/maybe-the-star-wars-rise-of-skywalker-writer-should-stop-explaining-his-decisions/#dfb9840776d1

以下、気になったところを、フォーブス・ジャパンの訳文、Forbesの原文、私のコメント(一部試訳あり)で並べます。

(1)
テリオはDCコミックス原作映画の仕上がりについて今も質問の集中砲火を浴びているが(『ジャスティス・リーグ』を途中降板したザック・スナイダー監督による「スナイダー・カット」を求める声は終息する気配がない)、『スカイウォーカーの夜明け』でも、似たような形で弁解をせざるを得ない状況に陥っている(「エイブラムス・カット」を求める声は実際に出ている)。

Terrio has been locked in endless debates about how those DC movies turned out (where’s the Snyder cut?!), and now he’s having to defend Rise of Skywalker in a similar way (where’s the Abrams cut?!).

試訳「テリオはDCコミックスの2本の映画化についての出口のない議論から抜け出せないでいるが(ザック・スナイダーのバージョンはどこ?)、今度は「スカイウォーカーの夜明け」の弁護でも似たような状況に陥っている(エイブラムスのバージョンはどこ?)。」
「ジャスティス・リーグ」はスナイダーが途中降板したため、劇場公開された映画とは別のスナイダー・カットがあると言われており、また、「スカイウォーカーの夜明け」についても、ディズニーが勝手に編集したので、エイブラムス・カットがあるという噂がある。この2つにかけている文章なのは明らかだが、DC moviesとあるので、これは「バットマンvsスーパーマン」と「ジャスティス・リーグ」の両方のこと。なので、監督・原案のスナイダーの見解はどうなんだ?という意味がこめられていると思う。エイブラムスについても、あんたいろいろ言ってるけど監督のエイブラムスの見解はどうなんだ?ということではないだろうか。「~はどこ?」というのはユーモアと皮肉をこめて言う言葉。

(2)
これは、オビ=ワンがルークを親戚に預け、そばで見守っていたことや、レイアを王位に就かせることで彼女を守ったこととはまったく違う。

This is opposed to say, Obi-Wan protecting Luke by giving him to relatives and staying close by, or Leia, by making her quite literally a princess.

前半はOK。後半は「レイアを文字通り、姫にすることで」というのが直訳なんだが、「王位に就かせる」が疑問。レイア姫だから文字通り、姫にするのでは?

(3)
この発言は、パルパティーンの件がいつ「プラン」に入ってきたのか、という質問への返答だ。明らかに、そんなプランはなかったと語っている。スノークを殺してレイの出生の秘密を抹消したライアン・ジョンソンの尻ぬぐい(彼らの目から見て)をするべく、古いコミックからアイディアを引っ張り出さざるを得なかった、と語っているのだ。

This is how he dodges the question of when the Palpatine stuff entered the “plan,” when the answer is very clearly that it was never the plan and they had to pull the idea out of an old comic book to try and salvage (in their eyes) what Rian had left them by killing Snoke and Luke and erasing Rey’s origin mystery.

試訳「このようにして、彼はパルパティーンの件がいつ「プラン」に入ったのかという質問をはぐらかす。答えは明白だ。プランなどなかったのだ。だから、昔のコミックブックからアイデアを引っ張り出してきて、ライアン・ジョンソンがスノークとルークを殺してレイのもともとの出生の秘密を消したあとに残ったものを(彼らに言わせれば)掬い上げるしかなかったのだ。」
ルークが抜けてるのはともかく(元のGQのインタビューでは、テリオは「最悪の男スノークと最良の男ルークを殺した」と言っている)、whenからあとはテリオが語ったことではなく、この記事の著者の意見です。
(追記 試訳の「残ったものを(彼らに言わせれば)掬い上げる」は、正確には「残った(と彼らが思った)ものを掬い上げる」です。(  )の中はwhat以下にかかるのですね。)

(4)
「僕たちは、スター・ウォーズのことをおとぎ話だと思ってる。双子の2人のうち1人は農家の子になって、1人がお姫様になるみたいな。レイは両方ってことだね」

“We think of Star Wars as a fairytale. Two twins: One is sent off to be a farmer and one is sent off to be a princess. Rey is kind of both.”

これはOKなんですが、私なら後半は「双子がいる。1人は農民になるべく送り出され、もう1人は姫になるべく送りだされる。レイはその両方だ」としたい(あくまで個人的な気持ち)。
記事の著者がこの引用のあと、やれやれ、もはや何も言えない、と言ってるのは、レイは境遇がルークに似ているけれど、姫ではないですからね。
「送り出される」にしたいのはですね、ルークとレイアが自発的に「なる」のではなくて、他の人々によってそうなるようにさせられるからです(ここ重要)。

誤訳は翻訳者本人が100%見つけることは不可能です。
優秀な第三者(編集者、校正者)が必要です。
誤訳は翻訳者だけの責任ではないことは、強く主張したいと思います。