2021年11月21日日曜日

「パワー・オブ・ザ・ドッグ」

 ジェーン・カンピオンの新作「パワー・オブ・ザ・ドッグ」見てきました。



なんとなく怖い映画っぽい印象を受けていたのですが、見終わった感想は、

こ、こわい。。。

予想では、ベネディクト・カンバーバッチ演じるカウボーイのフィルが邪悪で悪魔的になって怖くなるのではないかと思っていたのだけど、彼は逆に映画が進むにしたがってほのぼのっぽくなっていき、これ、どうなるの?と思っていると、最後の最後に、こわーい、のです。

ほんと、最後はぞぞぞっとしました。

原作は読んでいないのだけど、原作読んでいたら印象は違ってだろうか?

タイトルの「犬の力」というのは、ドン・ウィンズロウの有名な小説のタイトルにもなっていますが、もともとは聖書の言葉で、悪の象徴らしい。

ただ、原作でも、ウィンズロウの小説でも、男同士の絆みたいな意味もこめられているらしい?ようなこともネットに書かれていました。

最後のこわいところのネタバレはなしで行きますが、主人公のフィルはエール大学を出たインテリで、古典や外国語の素養を持ち、ギターの演奏もうまい。

その一方で、カウボーイの世界の男っぽさ、マチズモを信奉しているような人物で、女性嫌悪がすさまじい。

ジョージという弟がいるのだけど、どう見ても40代半ばくらいのこの兄弟が同じベッドで寝ていて、結婚歴もないらしい。

ジョージは兄と違って勉強はできなかったが、性格は温厚でやさしい。その彼が大学生の息子を持つ未亡人ローズと結婚すると、兄は異常に怒り、雌馬に八つ当たりとか、普通じゃない。

この兄のフィルはゲイなのだろうか、という感じなのだが、若い頃に彼の師匠だったカウボーイのブロンコ・ヘンリー(ブロンコ・ビリーみたいな名前)のヌード写真を何枚も隠し持っている。

フィルは何かあると人に難癖つけたり、人を馬鹿にしたりするいやなやつである。若い頃、映画館でサイレント映画のピアノ伴奏をしていたというローズのピアノ演奏が下手なので、同じ曲をギターでみごとに弾いてみせて、彼女を馬鹿にする。

ローズの息子ピーターは造花を作るなど、女性的な要素があるので、彼のことも馬鹿にする。

ピーターは医者をめざしているのだが、この伏線があとで効いてくる。ウサギを捕まえて解剖したりして、召使を驚かすあたりも。

こんなふうにして、ローズとピーターを馬鹿にするフィルなのだが、途中から雲行きが変わってくる。ピーターに乗馬を教えたりして、父と息子のようになっていく。

フィルがブロンコ・ヘンリーと知り合ったのが、ちょうど今のピーターの年齢だったらしい。自分がブロンコ・ヘンリーになり、ピーターがかつての自分になって、過去の絆を取り戻そうとするかのようだ。

もちろん、ジェーン・カンピオンだから、父と息子のような絆の話になるはずはない。なので、これ、どういう結末になるのかな、と思ったら、ぞっとするラストが来た。

犬の力=悪として、それは誰の中にあるのか。

ピーターの父はアルコール依存症で、自殺した、とピーターはフィルに語るが、彼が本当のことを言っているかどうかはわからない。また、フィルは、ローズは金目当てでジョージと結婚したと考えているが、このローズという人物がいまひとつわからない。彼女もアルコール依存症になっていくのだが、それは誰のせいなのか?

あと、最初がピーターのナレーションなんですね。これが最後まで尾を引きます。

父と息子、母と息子。

ローズはピーターの目で見られている、と思うと、いまひとつわからない理由がわかる気がする。

一方、フィルは堂々たる主役で、誰かの目で見られているわけではない。

ピーターのナレーションで始まり、ラストはピーターで終わるのだけど、フィルはピーターの視点の枠を超えている。

山に動物が隠れている、とフィルが言い、のちにピーターが最初からあの山は犬の形をしていると気づいていたとわかり、フィルとピーターの絆が深まるのだが、この2人が意外と似たもの同士の可能性もある。それはフィルの中の女性性、男性原理に反するもの、なのだろう。そういうものを隠して、マッチョになっているのかもしれない。

とまあ、いろいろ考える余地のある映画ですが、原作読むとわかる部分もあるのでしょう。